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私の未熟されど

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私は自分があろう、ありたいと思っている治療が
まだ来出ていない。

だから常に自分は未熟であると思っている。

しかし、少なくともその辺の治療よりも遥かに
素晴らしいという自負がある。

自負を持たねば、とても人を導き、教えるなど
ということは出来ぬ。

人を導く以上は自信も無ければならぬ。

そして、それ以上にもっと自分は
伸びねばならないと考える。

後から来た人に抜かれているようでは
自分の精進が足りないのだと言わざるを得ない。

ただ、謙虚に自分には持っていないものを
持つ人から学ぶという気持ちは失ってはいけない。

今一生懸命勉強している人は十分に
自分の先生となる人を選ばねばならぬ。

そしてその内容に対しても。

最初にどれだけ良いものを選んでおくことは
この後の治療人生を進むうえで、
大事なことになることがある。

以前に書いたが、武術の世界には

「3年かけて良師をさがせ!!」

というのがある。

実は後継者を選ぶ場合、先生も

「3年かけて良い弟子を選べ」

というのがあるのも事実である。

真伝を伝えるのは伝えるに相応しい
人格、思想、技術、才を持つものに対して
ということである。

本当を言えば、まだ完成していない技術である
WTSを教えるべきではないのかもしれないとも思う。

しかし、現時点で効果を出しているのは明白なのだし、
又、この技術が広がるには時間がかかるだろうと考えるので、
やはり伝授するのは良いことであると考えている。

そして人はいつ死ぬかわからぬので、
やるべきことを後回しにするなどということを
してはならない。

だから、皆さんにもいつか機会ができたら
学びましょうなどと言っていて欲しくないところである。

また、いつまでもうだうだして決心のつかない人は
治療の縁を持たぬ人なのだと思う。

全ては縁であるというのは私の考えの中にある。

ある患者さんが私のところに来て、通うようになるのも縁。

来なくなり縁が切れるのも、世の中の摂理。

しかし、一度縁を切ったなら、
簡単には縁は戻らぬと思うことが大事。

安易からは何も生まれない。

必至な気持ちが何かを生む。

そして一度信じたなら、あるレベルまで信じること。

それが大成する為の重要なポイントである。