肥田先生はこのように書いている。
「聖き正中心の1日を送って、夜の暗黒に迎えられる嬉しさよ。
新鮮な野菜をぶち込んだ生煮えの味噌汁の活き活きした香りに、
麦飯の夕げの美しきことよ。
食卓を飾るものは、生チシャ菜と生漬きの大根、表の山の中腹
から絞り出された生水??、健全無痛な、体を養う栄養食は、これだ。
其れを更に、二杯に止めて、箸を置くと、余計な負担をさせてくれぬとて、
胃腸の喜びは限りなし。
お腹の中で、胃は腸に向かって言う。
『良かったねえ。余計な仕事をさせられなくて??。
これだけじゃ、スッカリ消化させてあげたから、吸収作用に
最高能率をあげてちょうだいよ。』
『もちよ、知己の感を以って、馬力をかけるわよ。』
胃腸の二少女は、お腹の中でダンスをして喜ぶ。
これじゃ病気などが入ってくる、わずかな隙も生じない訳だ。
暗黒のうちに、一夜の休養を貪る準備は、これで十分に出来上がった。
暗黒?暗黒は、人これをきらい、又はこれを恐る。
私は光を仰ぐと共に又、暗黒を好む。
暗黒は、
安静だ。
休養だ。
暗黒の中には何もなし。
美もなければ、醜もない。
毀誉褒貶(きよほうへん)も、成功も失敗も、科学も政治もない。
唯あるものは、天と我のみ。
かくして私は又、暗黒の土中に葬られる、
死の安らかさと、其の美しき眠りとを、思わざるを得ない。
暗黒を好む者は又、死の眠りの安らかさを、愛せざるを得ないのだ。」
(聖中心道P238より)
肥田先生の境地に至ることができたら、
全ての人は健全、無痛であるなぁと思う次第である。