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こころざし

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最近よく思うことは、志を持って
進み続ける人が少ないということである。

自分の状況や能力を考えたり、世間一般の人は
このように考え、このように行い、このように
生活するから、自分もこんなくらいだろうと
納得して生きているということである。

どうして、もしかしたら、もっと違う何かが
あるのかもしれないと、考え、活動しようとしないか?

もし失敗したら?
何も生まなかったら?
何も出来なかったら?
何かを作り出せなかったら?

人生は数十年しか生きられない。

そして、その何十パーセントを思い通りに
生きられる人は、この世では数パーセント
なのだと思う。

それで死が間近にやってきた時に、自分の人生を、
自分は思い通りにしてきたかと問うて、
よしと思える人は幸せである。

少なくとも私は、そのようにありたいと
願うものである。

そして、そこで何かを生み出し、後世に何かを
残せたならば、本当に幸福な気持ちで、
この世を去ることができる。

できれば、多くの人に、
そのように生きてもらいたいと思う。

世の中で大きく、評価されなくとも、
自分の満足を得られる人生を送りたい。

頑張った結果、何か残せるならば、大変満足である。

人と同じようにありたいとも、
人と同じに生きたいとも思わない。

しかし、死んだ後で、人から、あのように
生きてみたいものだと言われるような人生を送りたい。

人は評価されるためでなく、自分が納得できる
人生を送りたいのだ!

何かに打ち込み、それに時間をエネルギーをかけて
集中、持続すること。

そんな志となるものを、
人生のいつの段階で持てるかである。

もしかしたら、ある人たちは一生持てないかもしれない。
また、ある人たちは志を途中で変えるかもしれない。

そして、よくある言葉のように、志半ばで
倒れてしまうかもしれない。

しかし、何もなく生きているより、
何かを目指していた人は、大変価値ある
人生を送れたのだと思おう。

もし自分が何かに向かって進んだ時に、
周りの人に理解してもらい、認めてもらい、
協力してもらえたら、最高に良い環境なのだといえる。

しかし、周りの誰からも理解されず、協力されず、
孤高の道を行くのも素晴らしい。協力、理解者を
得られなくとも、そのように生きているならば素晴らしい。

しかし、周りに多大な迷惑をかけているのは良くない。
ただし、周りを気にしていては、本気では進めないこともある。

色々と考えて、できなくなってしまうより、
失敗しても、やってみる人は偉いのだ。

皆が、自分というものを、借り物ではない人生で
生きたなら、きっと生き生きした社会になるだろう!