ワールドセラピーシステム

物事は多方面から

| コメントはまだありません

ある方式で結果を出すと、それがすごいとか
絶対と思ってしまうものである。

しかし、完璧はないし、なしえないのだから、
それを常に疑い、さらに違う考え方や見方が
ないかを探り、その可能性を他にも求めることこそ
科学的と言えるのではないだろうか?

1つのところで安住して、これがあるから、
それが出来るからOKにはならないのだ。

それが出来なければ、他の方から違う思考の
人に追い越されるだけである。

怖いのは、追い越すべき人が、その存在する
やり方を絶対視して、それを越えられなくなる
事である。

こわいのは「おごり」である。

私は、今やっているものより素晴らしいものを
見つけたり、考え出すことができたならば、

いさぎよく今やっているものを全部切り替えることを、
何のためらいもなく行うだろう。

常により良いものを求めるならば、
その態度は必要である。

自分をその分野でのパイオニアと自負するなら、
そういう気持ちを持ち続けないといけない。

今の私の治療は、10年前のものからしたら、
すでに奇跡のような結果を出す。

何度も言っているが、手技には限界があるのだ。

手技を極めようとする気持ちは大事で、
今の私も常にさらに上に行きたいと思っている。

しかし、それではあまりに片手落ちなのだ。
人体に関与する秘密の3分の1しか考えてないのだ。

だから、それだけに時間を費やしていたなら、
手遅れになる。より多くの治療家が目覚めて
それを学ぶ日が来ることを心より願う。

人は自分の信じたものしか見ないし、見えない。

しかし、心をオープンにして、目を凝らしてみたなら、
真実は見えてくるのだ。

だから、色付きのメガネで物を見るのではなく、
透明にしてみて感じ、それから考えることである。

周りの人がみな動いてから
そこに気付くのでは遅いのだ。

自らが感じ、思い、世間より、周りよりも早く
見て取る感受性を持ってほしい。

それがない人は、多くの人がやり始めて、
やっと動く人なのだ。それでは遅いのである。

そういう人は、すでに病気の芽があるのに気付かず、
具体的に病気が起きてから、「ああ、この人は
病気があった」と気付くようになってしまう。

未病で断つ。これこそが重要なのだ。

だから、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」
とか言って、周りが動き出すまで待つ人は、
決して最先端を行くことが出来ない人たちなのである。

一番手ではなく、二番手、三番手になってしまう。

ひどければ、出がらしで辛抱するしかないのである。