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野口晴哉、治療哲学

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最近何度か話題にした人である。

野口先生の全集には、私の持っている本にはない
資料がかなり豊富にに集められている。

さすが全集とつくだけのことはある。

早速入手した3冊をチラチラと読んでみた。

昭和初期において、すでにこれだけの考え方を
していたというのはすごい!!

それがどう形成されたか?

読んで感じることは、
多くの書物は読んでいたとやはり思うが、
自分の考えを形成し、人の意見に
左右されていないということであろうか。

その考え方は今でも十分通用するし、
むしろ今の若い治療家は、ぜひとも
野口先生の考え方にふれるべきである。

それには、今でも入手可能な、

「治療の書」
「風邪の効用」

は、是非とも手元に置いてほしい。

カイロプラクティックであろうが
オステオパシーであろうが、
?治療をやっている先生であろうが、

そんなことは関係ない。

全て人の健康に携わる人は
読むべきである。

そして、入手するのも読むのも
少し難しいかもしれないが、

肥田春充先生の「天真療法」も、
出来たら入手して読んでほしい一冊である。

こういうことがよく分かって、術者は己の持つ
治療技術を用いるべきではないかと思うのである。

治療家は、頭では理解していても、
つねに患者さんの肉体面にのみ目が行ってしまう。

それでは医者が「病を見て、病人を見ず」と
同じことになる。

心が、潜在意識が、その人を動かしめるのである
ことを重々忘れてはならない。

あまりに心に偏重するのは良いことと思わないが、
現在、、私の知る限り、見る限りは、そういう感じで、
日々治療を行っている術者が多いように見受けられる。

術者が、医者が、常に人の中にある不変の力、
宇宙の力を見ていたなら、それはきっと
素晴らしい治療を行えるのだろう。

しかし、自己の限界をのみ考え、形は一生懸命に
治療をしていても、どこかで諦めていたり、
マンネリ化していては、

絶対に患者の内にある、その生命の力に
触れることは出来ないのである。

治療は創造であると思っている。

同じ人であっても、次に来たときには違う。

同じことを毎回繰り返すなど、
決してできるものではない。

同じ人が持つ傾向と言うのはもちろんある。

しかし、これを読んでいる人の中で、
治療院に通っており、もしその手順が毎回
同じことのみ行うのなら、

少しあやしむべきである。

受ける方がそういう見方をすれば、
行う側も、もう少し真剣になるだろう。

同じ形を繰り返して治療効果を上げることが
できるのは、達人のみである。

ロリン・ベッカーというオステオパシーの先生は、

手を添える形は同じであっても、
その手の触れていないところが、
まるで手で押されるがごとく
動いているのを感じた!そうである。

優れた治療家は、手の触れていないところにまで、
身体に変化を起こさせるというのは、
私にも充分分かる。

まあ、このレベルの術者に治療してもらえば、
毎回同じ動作を単に繰り返されているのとは全く違うと、
治療を受けている患者さんにもわかることと思う。

残念なことに、どんなにすぐれた治療家にとっても、
その患者さんの持つ回復能力、回復スピードは違う。

そして、患者さん側にも分かってほしいのは、

身体には治療するための生理学的時間が
必要であるということである。

オステオパシーの創始者スティルの
「4つの法則」の最後の言葉は、

「それを見つけ、治したら、あとは放っておきなさい」である。

やるべきをやったら、術者はそれ以上手を出さず、
治っていく過程に任せよということである。