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振り返れば

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今借りている治療院の更新が来ました。

今の学芸大学駅のそばのビルに
引っ越して3年が経とうとしている訳です。

その前の碑文谷の家の治療院が、
10年位居て、その前は銀座です。

一番最初私が開業したのが銀座です。

その私が最初開業した場所は、
カイロプラクティックでは有名だった
加瀬先生の治療室が近くにありました。

開業当初の治療院の名称は、

銀座カイロプラクティックセンターでした。

その看板を見て入って来た患者さんは、
カイロ、プラスチックって何ですか?

と散々聞かれたものです。

今多くの人は、
カイロプラクティックと言う言葉を
知っていると思いますから
隔世の感がありますね!

私の開業時は、
今思うとお粗末な、
未熟な技術でしたが、

開業当時は,
誰も負ける気がしなく、
むしろ加瀬先生がいるから、
そこで開業してやろうと思いました。

その頃は
まだ私はオステオパシーを
知りませんでした。
(何と!怖いもの知らずなんでしょうか?笑)

しかし、
開業する時は、
そのぐらいの気持ちを持って
開業して丁度良いのではないかと
思います。

そこの場所で、
約10年くらい
治療をやっていました。

次に近くに、
その部屋よりも
広い部屋が見つかり
移りました。

歩いて1?2分くらいだったので、
スタッフ総出で持っていける荷物は
手で運びました

ふぅ?

結構大変でした。
近すぎて引越し屋さんに
頼めなかったからです。

その頃、
トムソンベッドを3台使っていたので、
引越し屋さんではなく

専門の業者の方にお願いして、
分解して、運んで、また組み立てると言う
作業でした。

ふぅ?

今考えても大変な作業でした。

そこで何年か治療院をやって、
銀座から碑文谷に引っ越しましたので、

私は、今まで4つの治療院を
開いたことになります。
(4つ目が現在の所になります)

銀座からトムソンベッドを
2台持ってきたので、
やはり、分解、組立の作業での
引越しでした。

自分の家もその家に引っ越したので、
同時に2つの引越しをした事になり、
この時は本当に大変でした。

「60歳を過ぎたら
引っ越してはいけない」

と言う言葉があるのですが、
本当に身にしみて大変な思いをしました。

ふぅ?

治療院を最初に開業してから、
場所が3回も変わると言うのは、
まぁ珍しいのではないのでしょうかね?

しかし、
どこの場所にいても
幸いな事に患者さんに困ると言う事は
ありませんでした。

私自身の悪運に感謝すべきか、
来て頂いた患者さんに感謝すべきか?

やはり2つとも必要なのではないでしょうか?

5?6年前までは、
内臓マニピュレーションでは
日本一とか言われていたようですが、
そんな事はくそくらえ。
必要ありませんでした。

何故なら、
私は進歩を止めようとは
考えていませんでしたから。

現に私自身は、
毎年パワーアップし、
その頃よりも遥に高い技術を持っています。

しかし、それもくそくらえ(言葉悪いでしね?)。
そんな今もいりません。

私は常に上へ上へと思っています。

きっと数年後は今より高いところにいる事を信じて