口当たりの良い食べ物が、本当に健康に良いであろうか?
聞き心地の良い言葉が、本当にその人の為になり、
必要なものであろうか?
事故やアクシデント、それはなぜ起きたのだろうか?
その場だけ取り繕うやり方は、問題を解決したであろうか?
オステオパシーのメカニカルリンクは、明確にその答えを出している。
また、内臓マニュピレーションでも、明確に答えている。
すなわち、管状の器官・臓器は伸ばされることを好み、
圧迫されることは好まない。
身体を養うため、全ての組織細胞に、栄養と酸素を送るために
末梢までいくように、毛細血管はすみずみまで伸びている。
神経の中にさえ血管が走っている。
筋肉の上から強圧を加え続けるなら、
当然、血管を痛め、損傷してしまう。
つまり、ズタボロにする。
それで炎症を起こし、
温かくなったと言って患者さんが喜ぶ。
確かに、組織が損傷すれば、そこに回復力が働いていく。
その組織に活力があって、病巣や制限が
それによって変化していくなら、まだ良いかもしれない。
しかし、もしそこに活力がなければ、
単に痛めつけられただけで、状況は悪くなるだけであろう。
筋肉は、アレルギーによっても悪くなる。
筋肉は、精神的なことでも悪くなる。
筋肉は、神経伝達の異常によっても悪くなる。
身体の歪みによる姿勢の不正によっても、
アンバランスによっても、筋肉の緊張は低下も上昇もする。
根本も明確にしないで、現象面で起きていることに
対してのみアプローチするというやり方は、
正しい結果を導くであろうか?
患者さんが喜ぶからと言って、
治療と言う目標、目的からそれてしまうことをするのは
良いことであろうか?
私自身は一切マッサージすることなく、
完璧に筋肉を弛緩させ、体を解放している。
なぜそれが出来るのであろうか?
治療家は、もっと自分の指を大事にしなければいけない。
繊細な感覚を感じ取れる手を作らねばならないのに、
指を壊すような手技に専念するのはどうであろうか?